ジタバタする期間があっていいかな
ファシリテーションにいがたの運営会議で、自分の中でモヤモヤしていた正体について気がつきかけた瞬間がありました。
それは、メンバーの方の
「ファシリテーターと名乗ることに躊躇してしまう」という発言
そうなんです
私もファシリテーションを勉強してまだ5年くらいしか経っておらず、グラフィックの方もまだまだ、ファシリテーターとして必要とされるスキルの大半が自分の中に入っていないと感じる状態で「ファシリテーター」と名乗ることに躊躇しているのです。
そして、メディエーターとしても同様です。
例えば、地元の新潟県司法書士会で何か説明するとき、例えば、全青司の集まりで発言するときに
まだまだ自分の中で知識としても不足している部分があり、能力としても不足しているがために自信がなくて、権威にすがりたくなる、つまり「~先生が・・・言っていた」とか「○○に書いてあった」とか「アメリカでは・・・」と、言ってしまう自分がいます。
別の場面では、何かのトレーニングを受けた時、講師のオリジナルかと思ったら、元ネタがあったと知った時
「な~んだ」と思った記憶があります。
自分が何かトレーニングをする時、何か発言する時
「な~んだ、元ネタあるんじゃない」と、思われるとイヤと考えてしまうので、だったら、最初から元ネタを周知しておきたいって気持ちもあるのかも、なんて考えたりもします。
つまり、自分が未熟な故に自分の言葉が自分から発せられたものじゃなくて、知識や経験がまだ血肉となっていないから、こういう事態になってしまうんだろうなあ。。。
更に考えると、司法書士の中で、ADR・メディエーションに懐疑的な方が多く、自分ではとても重要で大切なことをやっているつもりなのに、それをおとしめるような発言が続くので、権威に頼りたくなったということもあるかなあと思いつつあります。
メディエーションを一言で説明することが難しく、実際に何か体験してみないとわからない部分が多いために、懐疑的な方の抵抗は続き、こっちも説明するのが面倒になるという悪循環も原因の一つに挙げられそうです。
ファシリテーションにしても、メディエーションにしても、自分のものにするには、まだまだ時間がかかりそうですから当分、こういうジタバタした状態が続くんだろうなあと思う今日この頃です。
でも、いつかは、自信を持って自分の言葉として発することができるようになりたいものです。
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コメント
先生初めまして。
数日前のブログでは“風邪”をひかれた様ですが、御加減は如何ですか。?
それと、知的意欲(上手くはいえませんが。)の旺盛さに感服致し、凄いなぁ・って感じながら拝読させて頂いております。
実は、市でやっている『無料相談』に以前窺ったときに先生だったんです。その時もやはり、テキパキとした回答と歯切れの良さに心地よさを感じました。それ以来、尊敬する様になりました。
いつもブログを拝読しながら(私にとってはチンプンカンプンで難解すぎますが。)意欲的にやられている姿勢に元気を頂いております。
これからも頑張って下さい。
投稿: | 2013年2月25日 (月) 18時01分
こんにちは。
無料相談においでいただいた方なのですね。コメントありがとうございました
おかげさまですっかり風邪はよくなりました。
さて、司法書士は知識が仕事の元なので、勉強は欠かせないなあと思ってやっています。
応援ありがとうございます!
投稿: せきかわ | 2013年2月25日 (月) 19時08分
関川先生
先日、斎藤一人さんの本を読んでいたら
(オーディオブックなので本当は「聞いていたら」)
関連することがありました。
まず、「先生」と名乗る。
そうすると、「先生」になるのだそうです。
なるほどと思いました。
つまり、まず
「ファシリテーター」や「メディエーター」と
名乗ることにより、
「ファシリテーター」や「メディエーター」
になれるのかなと思います。
斎藤一人さんはそのようなことを
言っていたのだと思います。
投稿: かわさき | 2013年2月25日 (月) 21時09分
かわさきさん
コメントありがとうございました。
私の知人もおっしゃっていましたが、やはり覚悟をして、その役割を引き受ける気概が大事なんでしょうね。
かわさきさんは、そのへんの覚悟ができていてさすがだなと思います!
投稿: せきかわ | 2013年2月26日 (火) 15時53分